「見えないことを伝える力」 – 石場文子 x mui Lab トークセッション・レポート(作品展「2と3のあいだ」を通じて)
2021年10月8日、mui Labが運営するギャラリー「ebisugawa salone」にて開催中の写真展「2と3のあいだ」の作家である石場文子氏とmui Labのメンバー間で、「見えないものを伝える力」をテーマに、トークセッションを実施しました。この写真展は、9/17〜10/17の期間に、京都国際写真展Kyotographieの関連イベント「KG+」の一環で行われました。
展示の様子
対話を通じて出てきたキーワードは、輪郭、ずらす、気づき、余白など。そして、2次元と3次元のあいだを探る間に、アートとビジネスというアウトプットの違いについても考える機会となりました。
石場文子氏の作品は、写真と絵の狭間のような、そしてまた2次元と3次元の間のような作風だ。鑑賞側の観念をズラすような、そして認知力を試すようなトリックやユーモアのようなものが散りばめられている。その装置としての「輪郭」が象徴的だ。その輪郭によって、鑑賞側の捉え方にねじれを起こさせる。mui Labはそんな石場文子さんの作品に何か通ずるものを感じた。mui Labが作るmuiボードは、中身を引き立たせるためのまさにフレームなのだ。そのコンテンツによってユーザーはどのような体験を得られるか。その体験や得られる感情をどこまで究極に昇華し得るのか。そのために、必要のない情報は削ぎ落とし、人間性を慮った設計を、「余白」を大切にしながら追求し続ける。mui Labオフィスに併設されているギャラリーで、日々石場さんの作品を目にするごとに、じわじわと心に染み入る何か、そして時にぐさっと刺してくる何かがある。そうして次第にそれらはつながり合い、1本の線になっていった。アートとビジネス、一見、相反するように見えるこれら2つのことが、アングルを変えてみると重なり合う点も見えてくる。そんな考察が、石場さんとmuiメンバー、そして来場者の皆さんとの対話で得られました。会話形式でお伝えします。ぜひご一読ください。
写真展「2と3のあいだ」開催中のebisugawa salone
<参加メンバー>
石場文子(作家)、上村優(キュレーター@Kaichi Art Agent)、大木和典(mui Lab CEO)、廣部延安(mui Lab Creative Designer)
モデレート/テキスト:mui Lab 森口明子(PR and Brand manager)
森口)本日はお集まりいただきありがとうございます。早速ですが、石場文子さんに質問です。今回の展示の核となっている輪郭線のシリーズのコンセプトや、そこに行き着くまでの過程を教えてください。
石場)写真を大学で学んだわけではなく、日本画を専攻して、その後、版画に移動しました。その版画や、絵を作る過程で写真に入ったので、ここに並んでいる作品も、いわゆる写真作品というよりは、写真だけど絵に見える写真だと思ってもらえればと思っています。
私の中では、雑誌などの写真もそうなのですが、みんな無条件に写真に写っている情報から、奥には木があって、手前には家があってと無意識に入っていくんですけど、でもそもそも写真ってこういうペラペラの紙に印刷されているという、ここ(紙いう限りなく二次なものの)を通さずに、ここ(奥行きつまりは三次元)を見ているということを感じた時に、なんかすごいことをしているんじゃないかな、と思いました。なので、改めて写真ってこういった紙というものに印刷されているということを意識させたら、今度は人って写真というものにどう思うのかなぁ、ということを考えて、その一つとしてできたのが、展示をみてもらったらわかるんですけど、輪郭線っていうものです。その輪郭線というものも二次元でしか存在していないのですが、みんな結構そんな気にせずに文字を書いたり、絵を書いたりしています。私たちが生活している三次元にはないですけど、それこそ江戸時代とか古い時代から付き合ってきたものなので、自分が何に注目してみるかを考えた時にできたのが、この輪郭線のシリーズです。
石場文子「2と3のあいだ[静物]
森口)上村さんと石場さんの出会いはどんなものだったのですか。
上村)まず、石場さんの作品を拝見したのがパリでの2019年の展示でした。beyond 2020というカメラの会社が国内の優秀な作家を集めて、パリとアムステルダムを巡回する展示をされていて、実はそのパリでの展覧会会場のスタッフをしていました。その時に「ああ、いい作家さんだなぁ」と思いつつ、その時自分がしている美術のお仕事もどちらかというと絵画が多かったので、なんとなくビジュアル的に覚えているという状態のまま帰国しました。実は、その後、石場さんをつないでくれた東京のギャラリーの方が来ているのですけど、昨年ちょうど1年前の今の時期に石場さんが愛知からKyotographie(キョウトグラフィー)にいらしていた際にポートフォリオを拝見して、1時間くらいお話をさせていただきました。そのお話の中で、面白いかただなぁと思って。今もふわふわぁとお話されているのを皆さんも分かると思うんですけど、言っていることは、凄くものの核心をついていて、確固として作家さんとして見せたい世界観があるんだなぁと感じました。そして、今日のトーク・テーマも「見えないことを伝える力」ということですが、考えたり、思いつく力もあり、そしてそれを人に見せられる、伝えられるということまで考えた時に、それを作品として昇華するということができている作家さんはなかなかいないなぁと思いました。また作品それぞれ一つずつ見ていく中でも、こちらが考えを持って作品に入っていく余地も感じて、すごく展示をさせていただきたいと思い、お願いしました。
森口)mui Labのクリエイティブ・ディレクターの廣部さんはプロダクトを生み出す立場として、石場さんのものの見方や考え方をどう思われますか ?
廣部)ここで展覧会をするということで、石場さんの作品を最初に見たのは、何かの展示のフライヤーかWebサイトの記事かだったと思うのですが、なかなか理解できずにいました。そんな中、今回の展示のフライヤーを作るために作品の画像を見ていたのですが、「あれ ?」って、何か見えてくる感じがしました。本来、作品とはそういうものなのかもしれませんが、作品にしっかりと向き合うことで理解が深まっていき、見えてなかったものが見えてきたなぁ、という実感がありました。
mui Labとして作ろうとしているのは、無理矢理注意を引くような、どぎつくて、いかにも「見てください」というものではなく、家の中で日常使っていく時にちょうどいい存在感であるとか、ちょうどいい情報とのやり取りができるといいなと思っていたので、家具や作品のような存在でありながらも、ちょうど良い情報とのインタラクションができるものになると良いなと思いました。今回展示している、作品がEbisugawa Saloneに到着して直接作品を見ると、初めには見えていなかったのに、毎日見ていると作品の良いところが見えてきたんです。その時間と共に移り変わる見え方の変化は、僕が作りたいと思っていることの考え方と近いのではないかというのが、石場さんの作品から受けた印象でした。制作の時にどんなことを考えているのかな、ということを実際に今日伺えるのを凄く楽しみにしていました。
石場文子「2と3のあいだ -作者の机」
石場)私自身は写真を使っているんですけど、写真に対しては若干の苦手意識のようなものもあって。例えば友人が家族旅行の写真を見せてくれた時に、それがどこの場所で、誰なのか、といった話をすることがありますよね。友人は思い出とリンクさせて喋っているんですけど、それが友人と友人の友人の男の人なので、だいぶ距離感があって、私には彼女自身が語っている厚みでは感じられず、彼女の思いの丈との差を感じた時に、もやもやとした感じや、見えない壁を感じました。ただその壁って誰にでもあるなって思って、写真の作品を見る行為の中にもまた、写真作品も構図が格好いいな、とかはあっても、どういう見方をすべきなのかとといった疑問はあると思います。そこに今一歩踏み込む装置として、親しみやすさが芽生える装置として、輪郭を考えました。ただ、写真の上にただただ輪郭を描くだけではそれを見て終わってしまうので、だからもうちょっとどうしたらいいのかというところに踏み込んで考えたのが、実際のものに黒く線を引くという行為でした。やっていることはかなりアナログだし、馬鹿らしくさえあるのですが、そういう馬鹿らしさに笑えたり、ふらっと観たりする人もいれば、踏み込む人もいます。さらにそこから、例えば作品「彼女のコアラ」などは、輪郭から作品を撮った私自身か〝彼女〟がわかるのですが、鑑賞者の人からしたら、ただのぬいぐるみに見える人もいるし、オーストラリアに行ってコアラを見た人はそういう体験を思い出したりするのかなぁとか、見る人が接続できる要素などを入れつつ作ったのが、後ろの壁のモチーフたちです。逆に皆さんの壁側にある作品「2と3のあいだ[静物]」は、もう少し絵画的な構成を入れて絵作りとして凝った作品です。
石場文子「2と3のあいだ -彼女のコアラ」
森口)一番最初に作った作品はどちらになりますか。
石場)最初は輪郭ではなく、洗濯物の作品です。目の錯覚を利用しています。大学時代に版画のシルクスクリーンを勉強していて、シルクって、色面をとても綺麗に出せるので、衣類のグシャってした感じもカッコよく出せるなーと、ポートフォリオ用に作っていた作品などを眺めていた時に、ふと「これをもう一度ハンガーに吊るしたら、洗濯物としてみえるのかな」と思い撮影してみたら、思った以上にちゃんと洗濯物に見えてしまいました。実物では紙をハンガーに吊るした違和感だらけのものが、カメラを通すとちゃんと洗濯物に見えてしまう。布が紙に置き換わってもぱっと見だと気づけないんです。なので、写真て心許ないなぁと思いました。そんな写真に対する疑問から輪郭線のシリーズにも展開していきました。
石場文子「laundry#2」
森口)上村さんから石場さんの作品を紹介していただいた時に、迷わず大木さんは承諾されましたが、どういったインスピレーションだったんですか ?
大木)お話されていたように、日常の何かでのメッセージというところでしょうか。muiもそうで、デバイスという形で私たちから消費者の皆さんへのメッセージを届けていて、石場さんも作品の中に色々な形でメッセージが潜んでいると感じました。ぱっと見、日常で感じる違和感、日常の延長の何かというところがピンときたところでした。その中でどういったストーリーが潜むのかというのは実は分からなかったのですが、会社の一階で展示してもらっていて、毎日観ている中でどんどん気づく違和感というのもありました。違和感を出す、というのがアーティストがしようとしていることではなくて、そう感じることそのものがメッセージというか、それに気づくプロセスに対して、制作のプロセスもただ機械でやっていることとは異なるものがあり、時間軸があります。それが私たちの目指しているハイクリエイティブな部分と重なっていいなと思いました。日常の延長にある違和感なのだけど、それを捉え直すというような部分がしっくりきました。
森口)mui は気づきをもたらすテクノロジーのあり方を目指しています。余白といったものがキーワードにもなっています。テクノロジーが便利さのみを求めて全てやってしまうと人間が退化していってしまうという部分もあって、究極、それは人間にとって本当に幸せなのかという問いが生まれます。そこを追求していくと、人間というのは気づきがあれば能動的に動き、能動的に動くことの方が全体的には満たされる感覚をもたらすのではないか、という考察を元に、そのトリガーを少し投げるようなテクノロジーのデザインを目指しています。そこが手書きのメッセージの機能だったりします。あまりに関係性が近すぎると「愛してる」とか、「ごめんね」とか言えなかったりすると思うんですけど、そういう少しくすぐったいような温かい言葉をそっと夜中にmuiボードに書いておいて、朝に子供や奥さんが観て微笑む、といったようなことがあると良いなとか考えています。
muiボードに手書きでメッセージを書き、送る様子
森口)廣部さんはクリエイティヴを担当されていますが、それはハレとケの日常の中から生まれていますよね。お子さんが3人いらっしゃって騒がしい日々の暮らしの中で、どのように家族がつながり豊かな時間を過ごせるかを考える中で、自然素材のユーザー・インターフェースや、緻密なユーザー・エクスペリエンスの設計に基づいたアプリケーションなどが生み出されています。何かその中で意識されていることや、何かが生み出されるきっかけとなったエピソードなどありますか ?
廣部)建築家の友人と話していた時、どんなに綺麗な建築物でも、住むという行為に伴って、テレビやスイッチパネルなどの機能として生活に必要な、インテリア雑誌の撮影には現れないようなものが入り込んでくるという話題になったことがあります。建築・インテリア雑誌などで描かれるライフスタイルのような美意識が保たれた状態でテクノロジーがうまく入りこむにはどうしたらいいかなぁと話していました。私自身も家で過ごす中で、昼下がりに音楽を聴きながらビールを飲むような心地の良い空間に最新のテクノロジーが入っていく姿をどのように捉えていけばいいのかなというのが最初の発想でした。壁にインターフェースが融け込む世界が生まれればいいなぁというところから考えはじめ、それだと技術的なハードルが高すぎるので、壁につける形で何ができるかと考えていく中で、現在の形である一本の木がイメージとして浮かびました。
mui Labのファーストプロダクト「muiボード」
森口)それから一年を経て、ワコムさんとのコラボの「柱の記憶」というアートシステムも生まれましたね。これは、「家族の軌跡を紡ぐ」というテーマの下、子供の成長の記録を柱に刻む習慣に目をつけ、成長に伴うあらゆる家族の感情ややりとりを記憶し、いつでも引き出せるタイプカプセルのようなシステムです。身長を測ったり、落書きをしたり、言葉を刻んだりできますが、それらの書く行為はワコムさんのデジタルタッチペンを使います。この「柱の記憶」を世界中で展示する中で、柱や壁に身長を刻む習慣は、世界中で共通するものだということがわかってきましたね。このようなアイディアも、お子さんと過ごす家族との繋がりの日常の中からの発想から生まれたのですか ?
廣部)そうですね。うちの家の柱には子供達の身長が色鉛筆でたくさん描かれています。中には、子供たちの発想で未来の自分の背丈まで想像して刻まれたものもあります。それが面白いなと思って。日常の行為の中にテクノロジーをインストールすることで未来とつなぐ何かをできないかなと考えました。
mui Labがmuiプラットフォームというシステムを軸に開発した「柱の記憶」
森口)石場さんはmuiボードを見た時にどう思われましたか ?
石場)ほんとに今もどうなっているのか分からないですけど、実際に体験させていただく中で、自分の筆跡を見て感じる生々しさと同時に、媒体を木に変えるだけで親しみやすさがグッと深まっていることを感じました。実際は凄いことをしているのに、さらっとアナログっぽく見せて親近感を持たせているところがいいなと思いました。一方で私は、自分で言うのもなんですが、一見スタイリッシュに見せつつも、本当はカメラとモチーフを往復しながら被写体に線を引くというアナログなことをしています。muiさんとアプローチは同じなんだけど、やりたいことは真逆だなと思いました。角度は異なるけど、何かつながるなぁと思い、面白く感じました。
森口)キュレーターの上村さんは、石場さんの展示をmui labのスペースでやるということにあたって、違和感などはなかったのですか ?
上村)なかったですね。というのも、muiさんと出会った時に、テクノロジーが場合によっては生活にストレスを与えている場合もあるという問題提起と、もっとテクノロジーと穏やかに接する生活の仕方があるのではないかということを社会に提案していることを知ったのですが、それって今まで私自身はそもそもちゃんと考えたこともなかった点で、確かにストレスになっていたかも、という気づきを与えてもらいました。石場さんの作品にもまた、彼女の作品ステートメントに「なんでもないことが何もないことなんてない」とあるように、彼女の作品を通じて、目の前の世界の見え方が変わるということに気づきました。その「見え方を変える」視点を他者に与えるという点で、両者に通じるものを感じました。更にその方法が、ただただ強くそのことを言葉で伝えたり、わかりやすい方法で表現してはいない、ということも共通していました。もちろん、直接的な表現で何かを訴える作家さんもいて、それもまた力だとは思うんですけど、そうじゃなくて、時間をかけてじっと見つめている中で当たり前じゃないことを知れる瞬間が石場さんの作品やmuillabさんのプロダクトにはあると思いました。外から、石場さんの展示の様子を見て、「かわいいー!」と入ってきた方が、「あれ、この線ってなんですか ?」という疑問から会話が始まったりすることが、提示されているもの(作品)の中に、時間や鑑賞者が入っていける余地みたいなものがあって、その点が親和性が高いのかなと思いました。
石場文子「わたしの机とその周辺#1」
森口)なんか、すごく愛着をもてますよね。石場さんの今回の展示のフライヤーっていろんなカフェとかに置いてあって、ちょっと距離を離して観ると絵に見えるし、近くで観ると写真だし。muiも、ずっと日常で触っていると馴染んでくるのですが、そういう使うごとに愛着が湧くようなものを作りたいなと思います。
大木)今の話で出た余白みたいな、余地を作るっていうのが、輪郭線によってもたらされているのかなと思いました。muiもフレームがない画面なんですよね。実は文字がどこに出るかは分からないっていうところがあって、なんかそこに余地が生まれて研ぎ澄まされる感じがあります。研ぎ澄まされるというか、石場さんの作品ってナイフでさくさく「あなたは分かっていますか」と刺されているような感じもするんですよね。「あなたのものの見え方は大丈夫ですか」とぶすぶす刺されている感じ。笑
石場文子「2と3のあいだ -石-」
石場)まぁ、確かに自分もたくさん作品が並んでる場所に行った時に、あまり好きじゃいな、とさらっと流しちゃうこともあって、それはそれで仕方ないなと思っています。ただ、深呼吸しているなって気持ちで作って、それで立ち止まってくれた人にはまたもう一つ作品に踏み込んでもらえたらなと思っています。タイトルを見てくれた人が誰かを想定するとか、美術史を学んでいて静物画を知っている人は、それが写真に置き変わったらなんだか安っぽいなとか、考えることはいっぱいあるので、鑑賞者に委ねるというか、種まきをしておいて、気づいたらこっち、みたいな。そういう点では、muiさんもぱっと投げるのではなく引っかかるポイントみたいなものが近いのかなと思いました。
廣部)ちょっとだけヒントを散りばめるというか、みんなが知っている静物画だけどなんか違う。
大木)アートはそれでいいんですよ。企業はそれが超大変なんですよ。
一同)笑
廣部)ものの存在感がない方がいいと思っているんです。それに意識を向けた時にだけそのものがデバイスだったり、機能を果たすようになればいいと思っています。石場さんの作品も全然強くないというか、色があって、すっと通り過ぎることもできるけど、ぱっと一度立ち止まるとすごく細い部分が見えてくるとか、コアラの毛の一本一本に塗られているとか。輪郭を見せるためにテクニカルな部分も必要だろうなとか、見えてくるものが一見では見えないというのがスタイルとして完成しているのだな、作品として成り立っているのだなと思いました。
石場)そうですね、けど先ほど大木さんもおっしゃったように作品はいいけど商品となると….
大木)わけが分からないですよね。どうしようみたいな …. それを必死に考えます。言語化して、初めてそこからサービスを作ろうとするのですが、それって、「これを作りたい」、「クールだと思うから売りたい」みたいな、売れるからとかお金儲けできるから、という理由で作ることとは逆のところにあります。京大のこころの研究所の吉岡先生が「アートには失敗がない」と言うんですよね、でもスタートタップは失敗しかないんですよね。でも、その違うものが似た感じで視点を投げかけることができるのが面白いですよね。
森口)失敗こそ成功の種でもあるし、全てひっくるめてビジネスもいかに美しいアートに昇華できるか、という視点で見られるとも思いますが、現実的な数字に落とし込むことが様々なステークホルダーを満足させることにつながるのでそこが難しいですよね。つまり、数字というよりか、そのビジネスに関わる株主、投資家、顧客(BもCも)、従業員、関連会社などあらゆるステークホルダーがいるからこそ難しくて頭痛の種だとも言えるかと思います。
mui Labは、会社の一貫した思想に共感してアプローチしてくださる方々が多く、そこは皆さんが話されていたように、アートが訴えかけているメッセージと共通する部分が多い。つまり、共感とか人間の心に刺さること、情緒を大切にする点では一緒です。テクノロジーに情緒を持たせて、暮らしがより味わい深くなるように温かいものを拵えるというような。最近のアートへの見方は変わってきてしまったかもしれませんが、昔はアート作品が持つキャラクターや訴えかけるメッセージに共感してお金を払ってくれる一定量の人がいて、それで成立していました。一方、ビジネスとなると、その思想を伝えるだけの思想家や研究者などではないので、実生活で利になる何かをもたらさなければならない。そこには、戦略やデータなど現実のストイックなものと対峙しなければならないし、存在する限りは関わる人々のために利益を生み出し続けなければならない。抽象的な表現に留まってられず、例え「あとは相手の捉え方次第です、使い方次第です」と委ねる設計だとしても、そこには緻密な分析や設計が必要になってきますよね。(補足:もちろん純粋なアートと商業的なアート(と言って良いのかわかりませんが)など、作家の傾向やテイストによってはビジネスと似通ったアートも多々あると思いますが。)
今は時代が後押ししてきてくれているので、思想哲学でぶっ放して、あとは設計と技術で追っていくというmuiのやり方は、結構いいとこついてるなと思ったりしています。
大木)始めた当初は法被をユニフォームとして着ていました。材木屋さんですか?なんて聞かれて(笑)。そんな時代もあって、みんなにも「大丈夫かな」と思われていましたが、コロナが来て、ステイホームで家の生活が大事になり、僕らがやっていることは同じでも、周りの価値観が変わっていきました。その中で、僕たちがやり続けていたことに対しての見え方が変わって行きました。やり続けてきたから、そこに入れているという。諦めない。石場さんとも昨日話をしましたが、30代でアートをやり続けている美大卒の方は非常に少ないと聞きました。
石場)私の大学時代の友達でアートを続けている人は既に周りにはいないですね。
大木)諦めないからそれが成功しているように見える、という点でも共通していると思いましたね。
質疑応答
森口)ここからは質疑応答にしましょう。近藤さん、いかがですか ?
近藤)面白いと思ったのは、輪郭を静物に描くことで、その静物が存在感を訴えかけている。デジタルサービスを際立たせることは今の世の中で難しい。mui は自然に馴染む、デジタルの文字が消えた時に不安になる、木として捨てられちゃうんじゃないか(笑)なんて思うのですが、この間、八清さんとコラボレーションした際に、muiってとても存在感が出ましたよね。つまり、muiの輪郭はコラボレーションした企業や、周囲の環境がつけていくものなのかなと思いました。今日の対談で、輪郭っていうものを考えて面白く思いました。
谷川俊太郎氏の作品「あさ」(詩集「ベージュ」(新潮社))を表示し、2020年に開催されたMIND TRAILに展示したmuiボード。一文字ごと表示されるスピードも監修いただいた。
森口)ケビンさん(アートキュレーター)はいかがですか ?
ケビン)石場さんの作品を「あいだ」と理解しています。版画と写真のあいだ、2次元と3次元のあいだ。じゃあ、アナログとテクノロジーのあいだって何をとるのかなと考えています。デジタルを全て否定するのも違うと思うし。
森口)コロナ以降、なんだか展覧会のテーマも〝あいま〟〝はざま〟〝結界〟など、何かと何かの間のようなものが多い気がします。多くの人がその曖昧な境界を感じたり、模索されている証拠ですね。建築家のお二人いかがでしょう ?
伊藤)話を聞いていると、自分が何に対して意識的になるのか、他者に対して何に意識的になって欲しいのか、っていうところでアートもビジネスも通じる気がしました。
森口)そういう意味では、muiはコンテンツの中身を際立たせるための器のような存在です。中身を見てほしい。今回であれば、石場さんの思いを伝えるための器です。
mui Labのソフトエンジニアの久保田さんはいかがですか?
久保田)ソフトウェアのエンジニアは普段二次元の中で仕事をしています。そんな中、muiの仕事は廣部さんのアイディアを交えると、二次元なのか三次元なのか分からない部分があっておもしろさがあります。そして、今回の石場さんの展覧会タイトル「2と3のあいだ」も最初は意味が分かっていなかったのですが、大木さんが僕の写真に輪郭線を描いて持ってきたのを見て、すっごく腑に落ちたところがあって、とても面白かったです。分かった瞬間に、自分がやっていることも、「2と3のあいだ」だったんだ、と納得しました。
廣部)石場さんがインタヴューで、「世の中がこうって思っていることに対して、違う視点を提示できたらな。」と答えているところにとても共感しました。テクノロジーもメインストリーム以外もあるんだろうなという考えもあるのですが、やはりあたかもそれが便利だったり、すごくメリットがあるとされるのですが、そこに違うものを提示することで、それがより際立つというか。アートで新しい視点を提示するという、とても難しいことに挑戦されているのですが、その志にとても共感でき、僕も維持できたらなと思っています。
石場)私の作品を展覧会で鑑賞者の方が観る瞬間ももちろん大事なのですが、実は本番はそこから、鑑賞者が作品を観た帰り道だと思っています。鑑賞者が作品を観て、その後に自分の環境に対して何を感じてもらえるかが私にとって一番大事なところです。muiボードとかも、モノとしてあるんですけど、これを人がどう扱うか?という。そういう点で似ているように感じました。
森口)最後に、mui LabのCTO (技術ディレクター)の佐藤さんは、いかがでしたか?
佐藤)二次元の写真という作品ですが、周りの空間とか身体性といったものを感じさせる作品だと思いました。
森口)石場さんの作品もmuiも、反射させる装置としてのアート、つまり映し出す機能を持っていますね。
佐藤)muiも与える情報量は少ないのですが、だからこそ考えることが多くありますね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。